博覧強記

『博覧強記―』、物事を広く見知ってよく記憶しておくこと。なんとなく、ブログのテーマです。

松来さんの死がまだまだ受け入れられない

 松来未祐さんが先日、逝去された。

 

 昼間に携帯を取り出し、かつツイッターアプリを開くことは滅多にないのだが、そんな日に限って見たホットワードに並ぶ文言に目を疑った。その後は声優界隈のツイート、ブログ等々を目にするに、やはり逝ってしまわれたんだなと酷く落ち込んだ。数行の公式リリースだけで、おちゃめなベビーフェイスの死を受け入れることができなかったのか、しばらくモヤモヤが続いた。

 

 松来さんの初見はおしゃ木だった。小野坂さんのドイヒーなトークに正面から受ける姿と自虐満載のエンターテインメント精神にあっさり落ちたものだ(もちろん、そのエンタメ精神は安易な自虐ギャグだけではないが)。折に触れて、周囲の仲間や後輩から慕われる様子が多くのラジオで見られた。また、「おしゃべりやってまーす」のシリーズで長年、そのパーソナリティを見続けていただけに、松来さんの存在はかなり身近なものになっていた。だからこそ今回の訃報が、単なる有名人の訃報と違った感じ方をしていたのかもしれない。

 

 モヤモヤが続いていた折、後藤邑子さんのブログが著された。死が身近にあったものにしかわからない、できない世界を、本人も苦しいだろうに著してくれた。その内容からわずかばかり終末の様子を窺い知る。闘病の覚悟を感じるものの、松来さんの最期のブログと合わせるに、すでに悟っていたんだろう。ブログで少しでもポジティブに振舞う様子と、周囲の人たちの愛を感じるにつれ、泣けてきた。周囲に気を配りながら闘い続ける松来さんを見続けた人たちは、かなり苦しい心情だったに違いない。

 

 訃報以来モヤモヤしていたものは、休養以来全く何もわからなかったからだろう。もちろん、逐次報告してもらう義務なんか無いのだから当然だけど、だからこそ後藤さんのおかげで、涙があふれて心のモヤモヤがいくらか晴れた。本当に後藤さんに感謝している。

 

 故人が安らかに眠れるように静かに祈るものだが、それでも僕は、天に大いに恨み節を言いたい。
 なぜ、周りの人を大事にする人が逝かなければらないのか。なぜ、人を楽しませようと誰よりも努力する人が逝かなければならないのか。なぜ、こんなに愛される人が逝かなければならないのか。なぜ、こんなに素敵な人が逝かなければならないのか。なんで松来さんなんだよ・・・みんなが幸せを願う、みんなを幸せにしてくれる人をもっともっと見ていたかった。こんな形でなく、「結婚」の文字でネット界隈が荒れ狂う日をほんとに夢見ていたのに。どうしてんなんだ

 

 早すぎる、早すぎるよ。

 

 今日、地元のラジオを流していると「花は咲く」が流れてきた。思わず嗚咽するほどのものがこみ上げてきたが、こらえることはできた。まだまだ、ショックから立ち直れていないようだ。

 

 俺はまだまだクヨクヨするよ。
 こうして文章にすることで、少しずつ受け入れて、気持ちやら記憶やらを整理する。
 ゆっくりゆっくり戻していこう。松来さんという素晴らしい人のことを忘れずに。

 

 ほとぼりがすっかり冷めて、ARIAのブルーレイを観返してる頃がヤバいかもなぁ。自分で再生する動画と、ふっと現れる松来さんの声だと心構えが、ね。よりによって結婚ネタだし。

ひだまりスケッチ 沙英・ヒロ卒業編

 文字通りの卒業回なのでかなり身構えていたが、ほとんど通常回の空気で思っていたより重い感じでは無かった。「予告編PVはガチガチに泣かしに来た」というのは、まさにその通りだった。受験編と卒業編とで完全に分けられていて、卒業編は前日譚も含まれていてやや駆け足の印象。だからこそ極端に湿っぽくならなかったのか。というものの、オープニングはハニカムと一緒なのに、2話がただ2コーラス目だっただけなのに、言いようのない感情がグッとこみ上げた。

 やっぱり夏目のシーンで涙がちょちょぎれて。涙ながらにやっとの思いで素直な言葉を絞り出す夏目と、少ない言葉でも察する沙英の男前っぷりは「ひだまりスケッチ」のもう一つの終着点。夏目はまさしく「ひだまらー」たちが育てたキャラクターだったと思う。はじめはただの沙英と対立するキャラだったが、王道ツンデレキャラが確立されると一気に育っていった。「夏目ができるまで」がアニメでもフォローされたのは本当にうれしかった。

 特別なようで、何も変わらないようで。先輩コンビが卒業するということは特別なことなんだけど、「ひだまり」の空気はそれすらも包み込んでしまう。その空気がたくさんのファンを、ひだまらーを惹きつけていたのは、言うまでもない。

 「ひだまりラジオ」ではひだまり最終回と後藤邑子登場で、あすみんは始終変なテンション(いつも以上に)。最後の最後にぐっちゃぐちゃになったけど、ぶっちゃけ本編含めた一連のなかで一番泣けた。「ラジオ」は世界観を壊しかねない代物だったが、キャスト陣(サブを含めた)の肩の力が抜けた着かず離れずの距離感・空気がすごく自然で、それが逆に「ひだまり」の世界を拡げていたように思う。それをリスナー・視聴者も制作陣そしてうめ先生も許容できたのも「ひだまり」だったからか。自分も「ラジオ」から入ったクチだが、ラジオとアニメの乖離は不思議と感じなかった。自分の中で「ひだまり」は本編・コメンタリー・ラジオといろんなメディアを何度も触れたくなる数少ないの作品となった。

 原作はおそらくゆの卒業まで続くと思うが(願望)、できることならアニメもシリーズとして正統な最終シリーズを実現させてほしい。「☆☆☆」ブルーレイBOX発売時期に何らかの動きがあってほしいと思いつつ、大きな節目に思いを著してみた。

珈琲店タレーランの事件簿 また会えたなら、あなたが淹れた珈琲を

 売れてるとか言われると気になるものだ。天邪鬼のくせに。それでも手に取るのを何度も躊躇っていた。それよりも前に「ビブリア古書堂」だろうと踏んでいたが、ドラマ化決定の報を知るに、迎合しているとみられるの嫌って「ビブリア」シリーズの購入はやめた。天邪鬼だから(誰もみてねーけど)。

 さて、主人公のモノローグ・物言いが学生のくせに(←)あまりにも固くて、ラノベチックな言葉を捏ね繰り回すのがうざったいものの、「これがコージーミステリーなのか」と思わせるぬるっとした導入は、なるほど心地よい。主人公とバリスタの恋仲を期待させつつ、ラブコメチックな微妙な掛け合い(+爺の茶々)でシリーズを重ねていくのだろうと考えていたら、中盤で二人の関係はグッと縮まる。終盤はヌルい空気が一転して話が加速、十分引き込まれた。

 ただ、始終言いようのない違和感がまとわりつく。捏ね繰り回している会話は最大のネタを覆い隠すためにクドくなっていて、ミスリードを補強するためだろうが、他店の話題が妙に頻出したり、ことさらに「学生」を強調した時節描写でクドさが増す。終盤は時系列と一人称をシャッフルしてミスリードを促すのだが、バリスタが殴打される前後の描写に違和感。結局は「バリスタ」が最悪の傷を受けることなく、二人の関係も好転してハッピーエンドなのだが、読後も違和感は抜けなかった。

 クドさが気にならなくなれば十分楽しい。素性が現れた今、次巻から本当の「珈琲店タレーランの事件簿」が始まるのかもしれない。

NANA MIZUKI LIVE GRACE -ORCHESTRA-

発売から半年、公演からもすでに1年以上が経過しているのに今更、だ。

 歌唱に関してはキャリア屈指のクオリティ。可能な限り席を作った超満員の横浜アリーナが、ウルトラオレンジの光に染まる光景は圧巻。人数ではドーム公演に及ばないが、ホール(アリーナ)公演はやはり一味違う。メインボーカル、演奏者、コーラス、そして観客、アリーナにいた全ての人が作り上げたステージ。会場の音響と映像化に際しての各所の音声調整が程よく、オーケストラを意識した映像効果(グレインっていうのか?)も良かった。本公演が横浜アリーナで開催できたことは、主催者も折り込み済みだろうが、本当に意義深いことだ。

 本公演には特段派手な舞台演出は(冒頭を除けば)ない。オーケストラや大人数コーラスによる演奏こそが見所だ。そして何よりも水樹奈々の歌唱。オーケストラの圧倒的な「音の圧」を“従えて”箍が外れたかのように歌い上げる。コメンタリーでも追想しているように、歌に専念できる分、シンプルに「歌唱」に向き合えたのだろう。

 ベストパフォーマンスを挙げるなら「Justice to Believe」。“オーケストラライブ”の捉え方によるだろうが、ボーカル水樹奈々+オーケストラという構成ではこの曲が最高潮だったと思う。元々の曲の力強さにオーケストラの圧と勇壮感、さらに大人数コーラスが加わって重厚さが増している。そして会場一体のコール。曲調に沿い、オーケストラを活かし、オーケストラたるパフォーマンスこそがハイライトだったのではないか。「Justice-」が一番好きだからと言ってベストに選んだわけではないのである。決して違うのである。

 多くのストリングス曲のパワーアップアレンジも素晴らしいが、オーケストラアレンジで最も印象的だったのが「SUPER GENERATION」。毎度ながら感嘆させられるが、終盤にかけて尻上がりにパフォーマンスを上げていく水樹奈々と、アイドル曲も生で伴奏していた(せざるを得なかった)30年以上前の音楽番組のようなスタイルは妙な高揚感を感じた。
 チェリーボーイズが登場した「Orchestral Fantasia」「ETERNAL BLAZE」「Crystal Letter」のラインはとても熱くて迫力があったが、オーケストラやコーラスがぼやけた印象を持った。存在感が無いわけじゃないが、本公演はバンドとオーケストラのバランス取りに腐心したらしいから、今回のバランスが個人的に合わなかったんだろう。その点「SUPER-」はチェリボのバンドサウンドとオーケストラサウンドがうまく溶け合った本公演屈指のアレンジだったように思う。完全に個人的主観だが。

 公演そのものは冒頭の「天空のカナリア」と奈々ストリングス曲の源流とも言うべき「Tears' night」ですでに成功は決まったようなものだったが、あえて言えば「足りなかった」。オーケストラの負担が予想できなかっただろうが、もう少し欲しかった。それからコメンタリーで、収録当時進行していたツアーの話題が度々出てきたのはもったいなかった。映像を観ながらだからこそ、曲ごとに細かく話し倒す勢いで語ってほしかった。
 ライブ映像組の宿命だが、オーケストラや観客の1日目の反応が見られなかったのも残念。これは自分の問題だが。

 度々気になっていたが、ギターの小堀氏(と思われる人物)が始終ノリノリでにこやかな表情が見切れていた。あれが演奏側の総意であったと推察して、さぞかし暖かいステージだったんだろうと勝手に妄想し、視聴後は余韻に浸っている。