博覧強記

『博覧強記―』、物事を広く見知ってよく記憶しておくこと。なんとなく、ブログのテーマです。

ひだまりスケッチ 沙英・ヒロ卒業編

 文字通りの卒業回なのでかなり身構えていたが、ほとんど通常回の空気で思っていたより重い感じでは無かった。「予告編PVはガチガチに泣かしに来た」というのは、まさにその通りだった。受験編と卒業編とで完全に分けられていて、卒業編は前日譚も含まれていてやや駆け足の印象。だからこそ極端に湿っぽくならなかったのか。というものの、オープニングはハニカムと一緒なのに、2話がただ2コーラス目だっただけなのに、言いようのない感情がグッとこみ上げた。

 やっぱり夏目のシーンで涙がちょちょぎれて。涙ながらにやっとの思いで素直な言葉を絞り出す夏目と、少ない言葉でも察する沙英の男前っぷりは「ひだまりスケッチ」のもう一つの終着点。夏目はまさしく「ひだまらー」たちが育てたキャラクターだったと思う。はじめはただの沙英と対立するキャラだったが、王道ツンデレキャラが確立されると一気に育っていった。「夏目ができるまで」がアニメでもフォローされたのは本当にうれしかった。

 特別なようで、何も変わらないようで。先輩コンビが卒業するということは特別なことなんだけど、「ひだまり」の空気はそれすらも包み込んでしまう。その空気がたくさんのファンを、ひだまらーを惹きつけていたのは、言うまでもない。

 「ひだまりラジオ」ではひだまり最終回と後藤邑子登場で、あすみんは始終変なテンション(いつも以上に)。最後の最後にぐっちゃぐちゃになったけど、ぶっちゃけ本編含めた一連のなかで一番泣けた。「ラジオ」は世界観を壊しかねない代物だったが、キャスト陣(サブを含めた)の肩の力が抜けた着かず離れずの距離感・空気がすごく自然で、それが逆に「ひだまり」の世界を拡げていたように思う。それをリスナー・視聴者も制作陣そしてうめ先生も許容できたのも「ひだまり」だったからか。自分も「ラジオ」から入ったクチだが、ラジオとアニメの乖離は不思議と感じなかった。自分の中で「ひだまり」は本編・コメンタリー・ラジオといろんなメディアを何度も触れたくなる数少ないの作品となった。

 原作はおそらくゆの卒業まで続くと思うが(願望)、できることならアニメもシリーズとして正統な最終シリーズを実現させてほしい。「☆☆☆」ブルーレイBOX発売時期に何らかの動きがあってほしいと思いつつ、大きな節目に思いを著してみた。